戯言日記


[バックナンバー] [目次] [トップ]

2020年1月25日(土) 

茶漬けに梅干し醤油味、か。
なるほど、こりゃあ年齢の所為じゃないなぁ。

2020年1月1日(水) 

令和2年、明けました。
しかしながら、今年もまた諸般の事情により新年の挨拶が出来ないんですよね。
親世代が高齢になっている事が理由なのだけど、これからこのような年始が多くなっていくのかなと思うと、寂しさを感じ得ないですね。

さて、いま私は職場でこの記事を書いているのですが。
職業柄やむを得ない事とはいえ、やっぱ正月ぐらいはダラダラ過ごしたいぞと云うのが人情ってモンですよね。
目の前で正月気分満喫してる親子が歩いてんの見ながらだと、尚更そう感じてしまう。
……ま、フツーに週休二日のサラリーマンやるのは性に合わないし、仕方ないんですけどね。

という訳で、今年もまた印象薄い元旦が過ぎていくワケで。
文章の方がメインになって久しいので、こっちのギャラリー更新はほぼ無いかな、とは思うんですが。
アカウントとサーバースペースが残ってる限り、このサイトも存続し続けますのでよろしくお願いしますね。

2019年1月1日(火) 

今年も、何だかんだバタバタと正月が明けて、訳分からんうちに元旦が終わろうとしている。

職場で年を越したのは初めてでは無いが、やはり味気ないものだ。
最近は正月も、ただの通過儀礼として片付ける人が増えたようだが、やはり年の初めの節目というものは大事にしたい、と云うか、大事にすべきだと思うんだよね。

ま、それはさて置き。

この1月で、本サイトを設置してから丸19年が経過する事となり、あと1年で20周年となる。
考えてみたら、凄い事だよなぁ……いや、コンテンツの更新を放棄して久しいので、厳密には『維持していた』と云う表現が憚られるのが現実なんだが。
いつでも更新が再開できる状態をキープし、公開状態を維持している点は評価しても良いと思ってる。
他のサイトさんは、言っちゃアレだけど、更新が滞って暫く経つと、店仕舞いして消えちゃうからね。
それにウチは、更新するネタが無いだけで、メンテは滞りなくやってるし。

あー、サイトを開いて間もない頃の常連さん達は、今頃どうしているだろうか。
まだ筆を折らず、絵を描いているなら、ぜひ再会して話をしてみたいものだ。

……と、云う訳で。
年頭の挨拶としては些か不愛想だが、これはブログではなく日記なので、筆者の気分次第でテンションが変わる事を、あらかじめ請け合っておかねばなるまい。
来る者は拒まず、が基本方針なので。また話がしてみたい、という人があれば是非、扉を叩いて頂きたい。

2018年6月8日(金) 

何だかね。
このサイトのメインコンテンツって何なのさ? な、今更な質問が身内から出ちゃったんでね。
維持管理費だってタダじゃないんだし、放置ってのも勿体ないなーと。
何せ、お金出してドメイン買ってる訳だからね。
それに何より、自分自身がまだ細々とではあるが絵を描き続けてるぞ、というアピールが何一つできてないので。

ここらでサクッと、何か描いてみようかなー……と、筆を走らせて1時間余り。
ま、無着色ならこんなモンでしょ。



思えば、絵の流行りも何もかも、サイト創設時から見たらガラッと変わった。
なのに、模様替えもしないで古い絵だけ入れ替えて。リンク切れを整理して、交流は減る一方。
寂しい限りではあるが、俺ぁ一人になったってこのサイトを維持するぞ。
もしかしたら、古い知り合いがHNを頼りに俺を探してやって来るかも知れない。

何年か前に書いたけど、『入口だけは残ってるけど中身が機能してない』『アクセスしたらフォビドゥン』みたいなサイトにはしたくないんだよね。

インテュオス3も10年目、現行機は何代後の機種なのか。それすら分からん状況だけど、まだまだ使える。ストロークペンに換えたら、描き味が変わってイイ感じに強弱が付くようになった。
……ま、その辺のインプレは気が向いた時に。

取り敢えず、絵柄はそのまま。
つか、今更変えられるモンじゃない。俺ぁずっとこの絵で通すぞ。

2018年1月1日(月) 

何だかね。今年も何となく明けちゃった感じなんだけど。
旧年中に親戚が二人も連続で旅立っちゃったから、空気読めよな感じで餅もお節も無い訳で。
何をして良いか分からない、妙な元旦なんだよね。

こんなザマだから、サイトを挙げての挨拶も出来ないし。ホント調子狂いますわ。
でもま、一応節目って事で。

2017年5月17日(水) 

友人の勤務する職場に、文句を言いたくなった。
いや、いちいちそんな事で腹立ててたらキリないぞ、ってレベルの話なんだけどね。
裏を返せば、それだけ多くの苦情が同様の件で出てると云う事で、ひとつ。

『有給休暇』って、年間何日と云う制限付きで被雇用者に与えられている、減給無しで休暇を取れる権利の事だよね。
常識的には、それを行使するには色々と段取りを踏んで、雇用主の認可を取り付ける必要があるんだけど、余程の事情が無い限りはその要求が拒否される事は有り得ない。
また、労基法でも『法律上当然に労働者に生ずる権利であり、労働者の請求を待って初めて生ずるものではない。使用者の許可や承認は不要であり、そのような観念を容れる余地そのものがない』と定義されており、目に余るほどの勤務態度不良でも起こさぬ限り、雇用者側がその権利行使を拒否する事は出来ない筈である。

が、しかし。

友人は『職場に於ける人手不足解消』を理由に、既に確定されていた有給休暇の申請を白紙に戻された。
しかも、その『人手不足』は雇用主自身の人員配置管理に対する認識不足が招いたもので、友人には一切責任が無い。

雇用側としては、人件費を最低限に抑えたいという要望が先に立つ。この事情も分からなくはない。
しかし、そこをケチって、万が一出勤予定者が急病や事故で出勤不能になった場合、その埋め合わせを誰がするのか? という話になる。

人員・予算・納期など、ビジネスを完了させるまでに必要とされる人やモノの流れが、許容限界ギリギリのラインを通るケースを『クリティカルパス』と言う。
アクシデントの発生などで、已む無くその状況に陥る場合もあるが、管理者と云うのはそれを極力回避する為に存在する筈だ。
そして、意図してクリティカルパスを毎日通らせている労働環境で欠員が出てしまったら、ビジネスは破綻し、結局は大損害を出す羽目になる。
これが分からぬ無能者に、管理者たる資格は無い。

4週8休・24時間交代勤務が当たり前の医療・消防・警察などの機関に於いても、万が一欠員が出た場合の予備要員は確保しているものである。
その配置を怠り、大事故に繋がった場合、その責務は当然、その機関のトップが負う事になる。
が、トップが詰め腹を切るだけで事が済む、等と甘いものではない。
それによって被害を被った顧客や従業員、その関係者への賠償はどうなるのか。
それこそ、人件費をケチって雇用人数を最低限に抑えた分、浮く予算を遥かに凌ぐ額の損害が出る筈だ。

と、このように。通常勤務を遂行する場合に於いても、余裕を持たせた人員の確保は管理者として必要な『義務』である。
有給休暇を取り上げて出勤させるなど、もはや論外
こうなる原因を作った者、或いは有休を撤回させた者は、休暇を取り消された者に土下座して詫びるべきである。

そのような、人間を人間として扱わないような不当労働を強いる企業を『ブラック』と世間では呼称しているが、今やその『ブラック』が社会のスタンダードになりつつあるような気がしてならない。
友人の勤務先も、その中の一つである事は確実だろう。

……こんな世の中を作ったのは、一体誰なんだ?
その答えは分かっちゃいるけど、口に出せば逆賊扱いになる。だから言及はしない。
しかし、許すべからざる人間は必ず居る。

ま、そいつを引っ張り出してボコったところで、世の中は何も変わらんがね。

2017年1月26日(木) 

新年が明けて暫く経った頃に、年始の挨拶も何もないぞと云うお叱りが聞こえてきそうではあるのだが。
年始早々から精神的負荷の大きな事が立て続けに起こり、さしもの私も些か参っていたという訳で。
とてもではないが、時候の挨拶どころでは無かった……と云うか、正月からブルーになる年も珍しいなと思わざるを得ない、一年の幕開けであった。

で、今こうして日記フォームに向かっているからには、それらは片付いたのか? と思われる方も居られるだろうが、実はそうではない。
寧ろ、癒えていない傷の上で更に別な揉め事が起き、もう俗世を捨てて山にでも籠ろうかと本気で思った程である。

人間、そもそも生き抜く事自体が面倒で苦痛なのだ。
だから皆、各々に趣味を持って楽しみを見付け、『義務』との折り合いを付け乍ら生きているんだなと考えている。
だが、その『趣味』の範疇で立て続けに揉め事が起こったら、どんなタフガイでも凹むだろう。
言うなれば、自分の家に他人が土足で踏み入り、好き勝手に暴れて行ったようなものだ。
賊を追い払っても、荒らされた部屋の中は簡単には元通りにはならない。

……と、こんな心境の中でこの日記を書いているので、段々とネガティヴに磨きが掛かっていくのが自分でも分かる。
だが、今日は敢えてこのまま最後まで書き切る事にする。溜まった膿は出し切ってしまった方が良いが、それを特定の誰かに聞いて貰えば被害が広がってしまうからだ。
そんな個人的な事を、Web内に書き込むのもどうかとは思う。
だが、このスペースは私がお金を払って借りている場所。いわば私有地。
そこで何を語ろうと勝手であると、開き直る事にする。
もし、迷い込んでこの記事を読んでしまっても、それはその御仁の勝手。
当方に罪は無いという事を、予め請け合っておく。

さて、私は同名で外部SNSなどにアカウントを持ち、其方で公表しているので、このサイトの他に別サークルを運営している事を知る人は多いと思う。
その絡みで、数年前から企業の契約クリエイターとしてテキストを書いているのだが、これが思いのほか自分のスキルを磨くのに役立っている。
お客からの要望を具現化する仕事なので、分からない事は調べてでも表現しなくてはならない。
結局、それが自分の知識をどんどん深める事に繋がるのだが、中には『適当で良いんだ、そこまでリアルに表現されると読む方が疲れる』とダメ出しを食らう事も儘ある。
しかし、いい加減な事を書いてしまう訳にも行かないから、どうしても正しい知識は必要になる。
知識を仕入れた後は、そのお客の『ハマり度』を見極めてディティールの微調整を行うのだが、これが非常に面倒臭い。
作家にとって、文体や絵柄は『個性』である。
それをシチュエーションや顧客によって変えていく事は、アイデンティティーの喪失にも繋がりかねない。だから、これではいかん! と、最近思い始めている。

近年は、ネット小説が爆発的に流行した事から、サッと読める難易度の低い短文がウケているようだ。
確かに、ひと段落ごとの密度が濃い長文は、サッと見て『うわ……』と思ってしまうものだ。
しかし、全体の長さまで『一口サイズ』な文章ばかりに慣れてしまうと、今度は論文や長編小説に抵抗を感じるようになるのではないか? という杞憂が私にはある。

まぁ、ネット小説は元々『通勤・通学の合間に』『寝る前にちょっと』なノリで読む事が前提の作品群だから、あの手軽さと長さは理に適っていると言える。
だが、あれこそが小説だよと云う固定観念を持った読者が増えると、長編を売り物にしている作家が冷や飯を食う事になるのだ。
実際、某大手の小説投稿サイトでも、一回分の長さはネット小説に準じた1000〜3000文字程度の短文で、それが延々と続く連載物が非常に高い評価を受けている。
一回の長さや描写密度を抑えても、全体の長さが足りないと人気が出ない。

更に申せば、兎に角面白おかしい世界観を打ち出す事に成功しさえすれば、それだけで高評価に繋がってしまう。
そこに文章マナーや文法の知識などは殆ど求められていないのだから、全く以て驚きだ。

高品質に拘るか、時代のニーズに柔軟に対応するか。
恐らくは、その折衷に成功した者が勝者となるのであろうが、自分はまだその域に達してはいない。
今は、月に2〜3回、短編を書かせて貰えるだけで良しとする。

……ただ、上限が3000文字なのだよという事を、お客様各位には理解して頂きたいものだ。
この、最後の呟きが何を意味するかは、また気が向いた時にでも書こうと思う。

[バックナンバー] [目次] [トップ]

Akiary v.0.51