戯言日記

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2017年1月26日(木) 

新年が明けて暫く経った頃に、年始の挨拶も何もないぞと云うお叱りが聞こえてきそうではあるのだが。
年始早々から精神的負荷の大きな事が立て続けに起こり、さしもの私も些か参っていたという訳で。
とてもではないが、時候の挨拶どころでは無かった……と云うか、正月からブルーになる年も珍しいなと思わざるを得ない、一年の幕開けであった。

で、今こうして日記フォームに向かっているからには、それらは片付いたのか? と思われる方も居られるだろうが、実はそうではない。
寧ろ、癒えていない傷の上で更に別な揉め事が起き、もう俗世を捨てて山にでも籠ろうかと本気で思った程である。

人間、そもそも生き抜く事自体が面倒で苦痛なのだ。
だから皆、各々に趣味を持って楽しみを見付け、『義務』との折り合いを付け乍ら生きているんだなと考えている。
だが、その『趣味』の範疇で立て続けに揉め事が起こったら、どんなタフガイでも凹むだろう。
言うなれば、自分の家に他人が土足で踏み入り、好き勝手に暴れて行ったようなものだ。
賊を追い払っても、荒らされた部屋の中は簡単には元通りにはならない。

……と、こんな心境の中でこの日記を書いているので、段々とネガティヴに磨きが掛かっていくのが自分でも分かる。
だが、今日は敢えてこのまま最後まで書き切る事にする。溜まった膿は出し切ってしまった方が良いが、それを特定の誰かに聞いて貰えば被害が広がってしまうからだ。
そんな個人的な事を、Web内に書き込むのもどうかとは思う。
だが、このスペースは私がお金を払って借りている場所。いわば私有地。
そこで何を語ろうと勝手であると、開き直る事にする。
もし、迷い込んでこの記事を読んでしまっても、それはその御仁の勝手。
当方に罪は無いという事を、予め請け合っておく。

さて、私は同名で外部SNSなどにアカウントを持ち、其方で公表しているので、このサイトの他に別サークルを運営している事を知る人は多いと思う。
その絡みで、数年前から企業の契約クリエイターとしてテキストを書いているのだが、これが思いのほか自分のスキルを磨くのに役立っている。
お客からの要望を具現化する仕事なので、分からない事は調べてでも表現しなくてはならない。
結局、それが自分の知識をどんどん深める事に繋がるのだが、中には『適当で良いんだ、そこまでリアルに表現されると読む方が疲れる』とダメ出しを食らう事も儘ある。
しかし、いい加減な事を書いてしまう訳にも行かないから、どうしても正しい知識は必要になる。
知識を仕入れた後は、そのお客の『ハマり度』を見極めてディティールの微調整を行うのだが、これが非常に面倒臭い。
作家にとって、文体や絵柄は『個性』である。
それをシチュエーションや顧客によって変えていく事は、アイデンティティーの喪失にも繋がりかねない。だから、これではいかん! と、最近思い始めている。

近年は、ネット小説が爆発的に流行した事から、サッと読める難易度の低い短文がウケているようだ。
確かに、ひと段落ごとの密度が濃い長文は、サッと見て『うわ……』と思ってしまうものだ。
しかし、全体の長さまで『一口サイズ』な文章ばかりに慣れてしまうと、今度は論文や長編小説に抵抗を感じるようになるのではないか? という杞憂が私にはある。

まぁ、ネット小説は元々『通勤・通学の合間に』『寝る前にちょっと』なノリで読む事が前提の作品群だから、あの手軽さと長さは理に適っていると言える。
だが、あれこそが小説だよと云う固定観念を持った読者が増えると、長編を売り物にしている作家が冷や飯を食う事になるのだ。
実際、某大手の小説投稿サイトでも、一回分の長さはネット小説に準じた1000〜3000文字程度の短文で、それが延々と続く連載物が非常に高い評価を受けている。
一回の長さや描写密度を抑えても、全体の長さが足りないと人気が出ない。

更に申せば、兎に角面白おかしい世界観を打ち出す事に成功しさえすれば、それだけで高評価に繋がってしまう。
そこに文章マナーや文法の知識などは殆ど求められていないのだから、全く以て驚きだ。

高品質に拘るか、時代のニーズに柔軟に対応するか。
恐らくは、その折衷に成功した者が勝者となるのであろうが、自分はまだその域に達してはいない。
今は、月に2〜3回、短編を書かせて貰えるだけで良しとする。

……ただ、上限が3000文字なのだよという事を、お客様各位には理解して頂きたいものだ。
この、最後の呟きが何を意味するかは、また気が向いた時にでも書こうと思う。

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Akiary v.0.51